SYU-KATSU SPICES就活に役立つ話題集

シゴトビトの言葉学

[第40講] トヨタ紡織東北株式会社 社員 菅原 昇太のコトバ

毎月1回開催の「しごとトークカフェ」。そこで社会人のゲストが語る、働き方、暮らし方、生き方とは?岩手で働く社会人たちからのメッセージを「シゴトビトの言葉学」として紹介します。40-title
奥州市江刺出身。地元の高校を卒業後、「都会で面白そう」と横浜市の大学に進学した。奨学金を得て4年間寮で生活し、アルバイトや部活動はしないで勉強に力を入れた。大学の受験勉強以外、中高ではあまり勉強せず「高校入試の数学の点数は2点でした」。大学では「18年分の遅れを取り戻すため頑張った」という。大学の夏休み、短期留学でカナダに2週間ホームステーした。出国1週間前に決断し、パスポートと現金、スマホを用意して勇んで渡航したものの、スマホは使えず、キャッシュレス社会のカナダで現金は使えなかった。「無計画で無鉄砲」が本人の評価だ。

 

就活も一歩前に

4年間の都会暮らし。「自分に合わないのではないか」とUターン就職を考えるようになった。就職活動のイメージをつかむため大学2年で大手就活サイトを調べ始め、大学のキャリアセンターに顔を出すように。3年生のための就活セミナーに参加したりもした。ジョブカフェいわてのセミナーや東京・有楽町のふるさと回帰支援センターの岩手県のブース、岩手県内の大学が主催する企業合同説明会にも参加した。志望度の高い会社の説明会には何度も足を運び、採用担当者と懇意になった。30社に応募し、すべての会社から内定を得た。

「世界のトヨタ」を生み出した豊田紡織

30分の1の選択理由は「すごく自由に働けて、才能を殺さない。それぞれの人材を高く評価してくれるところ」と表現する。祖母の家が会社のそばにあり、小さいときから知っていたという。トヨタ紡織東北の前身は1918年に豊田佐吉が創業した豊田紡織。機織り機のメーカーで、手動機械を自動化した立役者。その会社からトヨタ自動車が生まれた。人材育成の面だけでなく、給与や年間休日数など雇用環境も充実し、福利厚生も他社に負けていない。最初の配属先は業務部IT推進室だった。1年後に今の部署に異動した。仕事は派遣対応、社会保険関係、採用活動など。現在3年目だが、最近は社長から「社内の技能研鑚(けんさん)会を企画、主催してみなさい」と命を受け、北上市の本社工場に金ケ崎、宮城の工場の管理職の方々と共に大会を成功裡に終えた。さらに大規模な大会運営も任されている。年上の社員も巻き込む人間力が強みだ。自社を「偉くなりたい会社」と表現する。休みをもらい職場に戻ると工程などが改善されている。「自分が中心になってそんなことを実現したいし、海外の拠点工場にも行ってみたい」。前向きの会社員生活を送る。

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菅原 昇太(すがわら・しょうた):
奥州市出身。神奈川大学法学部に入学し、3年次からUターン就職の活動を開始。2019年4月新卒でトヨタ紡織東北株式会社に。業務部を経て2020年から管理部の人事・採用担当。新卒社員採用までの志願者支援などをしている。

トヨタ紡織東北株式会社:
自動車用シート専門メーカーとして1957年横浜で発足。2002年本社を工場があった北上市に移転。アクア、ヤリス、ヤリスクロス、C-HRなどコンパクトカーの内装メーカーとして躍進している。

\菅原さんの言葉を聞いた、参加者のコメント/

・1台の車ができるまでたくさんの会社が関わっていることを知りました。車の内部の写真も見られて面白かったです。自由な社風で個性を生かして働ける職場は魅力的と感じました。

・人事の方の目線で会社のお話を聞けたので興味深かったです。会社の雰囲気に合った働き方を自分も見つけたいと思いました。

・トヨタ自動車のもととなったのは豊田紡織という今のトヨタが生まれた歴史を初めて知りました。想像以上に大きな会社で、他企業より一歩進んでいる会社だと思いました。


「しごとトークカフェ」は2010(平成22)年度にスタート。菅原さんは140人目のゲストでした。