シゴトビトの言葉学
[第14講] 株式会社坂東木材 代表取締役 坂東学のコトバ
毎月1回開催の「しごとトークカフェ」。そこで社会人のゲストが語る、働き方、暮らし方、生き方とは?岩手で働く社会人たちからのメッセージを「シゴトビトの言葉学」として紹介します。
父親が社長の坂東木材に入ったばかりのころ、「長くて太い木がない」と外国産材の在庫切れに頭を抱える社員がいた。「どうして目の前にある山の木を使わないのか」と不思議に思う。「そこにあるものを使う。それが簡単でいいのに」。使えないのには理由があった。山から木を伐り出してもそれは直ぐには使えない。乾燥が必要だった。そのころ、各段に性能が向上した乾燥機が出てきた。目指す林業の地産地消がより現実味を帯びてきた。
アメフトQBと社長業
スポーツ少年団で野球を始め「野球ができる」高校に進学。練習第一の高校生活を送り、大学でも続けようと大東文化大に。しかし、野球部はセレクションを受けた選手しか入れなかった。自分は「足も速いし、肩も強い」。選んだのはアメリカンフットボール。1年から3年までチームの中心クオーターバック(QB)として活躍した。ただ部員が少なかったので、QBだけでなくディフェンスでも出場した。「アメフトのチームは企業のようなもの。業務命令は確実に実行する。司令塔のQBは現場の社長。その経験が今の仕事に生きている」
木材業の昔と今
坂東木材は昔、盛岡市の中心市街地桜城小のそばにあった。当時山から切り出した木材を運ぶのは水運。北上川と雫石川、そして中津川が合流する盛岡の川沿いには製材所が並び、町内会単位に材木商がいて大工相手に商いをしていた。坂東材木はその後郊外に移転し、木材加工も始めようと設備を整え、後に製材も行うように。高度経済成長期、島国日本には海から外国産材が入って来た。外材7割、国産3割の時代が続く。今、坂東木材では国産7、外材3。品質、価格両面で国産、地元産が勝っているという。
求職者へのアドバイス
部員が足りなかった大学のアメフト部ではオフェンスでもディフェンスでも何でもやった。さまざまなポジションを経験し、いろいろ学ぶ。「仕事も同じ」。希望の会社に入ってもやりたい仕事に就けるかどうかは分からない。「さまざまな仕事をする中で何か面白いことを見つける。そんなことが人生の糧になるのではないのか」
株式会社坂東木材:
1952(昭和27)年創業。送材車付帯鋸盤(台車)やテーブル式での丸太、製品の製材、修正挽きなどで一般材、造作材を提供している。超高温高速乾燥機で製品を安定化、精密度の高いモールダー(木材の四面を同時に切削する木工機械)で造作材加工、超仕上げで建設業に貢献している。
坂東 学(ばんどう・まなぶ)氏プロフィール:
盛岡市出身、盛岡三高時代は野球部、大東文化大法学部政治学科に進学し、アメリカンフットボール部で活躍。2002年株式会社坂東木材に入社。2009年に社長就任。盛岡中央工業団地協同組合専務理事。岩手県木材青壮年協議会と一般社団法人盛岡青年会議所の会員。
\坂東さんの言葉を聞いた、参加者のコメント/
・今まで聞いたこともない分野のお話だったのでとても楽しく、また今後の生活にも役立つお話でした。もっと林業業界が発展すればいいなと思います。何か今後関わることができればいいなと思いました。
・川上、川中、川下という言葉を新たに知り、どういう意味か分かった。簡単だが各場所で何か必要とされているかが知れた。岩手の林業事情や木の事を知れて勉強になった。木の地産地消の取り組みがすばらしいと思った。
・戦後植えた気が今使い時で、現代は林業の時代だと分かった。 国産材は香りが良く、経済的に良いことが分かった。
「しごとトークカフェ」は2010(平成22)年度にスタート。坂東さんは108人目のゲストでした。
過去の様子はジョブカフェいわての施設内に常設のDVDで閲覧できます。