SYU-KATSU SPICES就活に役立つ話題集

シゴトビトの言葉学

[第2講] さんさ裂き織り工房「幸呼来Japan」・石頭悦のコトバ

毎月1回開催の「しごとトークカフェ」。そこで社会人のゲストが語る、働き方、暮らし方、生き方とは?岩手で働く社会人たちからのメッセージを「シゴトビトの言葉学」として紹介します。

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石頭は人生の試練に立ち向かう女性だ。
学生結婚が破たん、母子家庭の扶養者になった石頭はスーパーで捨てられるキャベツの葉を貰い中一と小四の娘に食べさせていた。仕事選びも「何かやりたいではなく、食うため」。ハローワークの求人に手当り次第応募するが「ここはあなたの来るところではない」と断られる。知人の紹介でようやく住宅リフォーム会社に拾われる。「やりたい仕事に就ければいいが、限られている。ご縁があるならそこでいかに力を発揮できるか」。資格取得など努力を惜しまず、パートの主婦は退職時、専務取締役になっていた。

裂き織りと障がい者に出会う

住宅リフォーム会社ではバリアフリーを担当。県中小企業家同友会の「障がい者の就労を考える会」で支援学校に視察に行き裂き織りと出会う。「生徒たちの織ったものはきめ細やかで色も鮮やか」。盛岡市の雇用助成を受け、企業内で事業化した。古着をリサイクルする裂き織りは「もったいない」精神を受け継ぐ地域の文化。その普及の願いもあった。

震災、そして起業

2011年の東日本大震災、そのとき忘れられないことが起きた。震災翌日、社員が一人も出社しないなか、会社に来たのは社長と石頭、そして障がい者だった。震災のため裂き織り事業の継続は困難に。「そんな子たちを見捨てることはできなかった」。同年9月に幸呼来Japanを立ち上げる。「今は助成金なしで、なんとかやっている」。近く、生地で納品する「さっこらプロジェクト」で大手スポーツ用品メーカーとの取引が動き出す。裂き織りは個人工房がほとんど。障がい者の力で一定量を生産できることが大きな強みになっていた。

盛岡への恩返し

山形県酒田市出身。前夫の転勤でたまたま盛岡に。離婚後、一度実家に戻ったが、娘二人を連れ盛岡に戻った。キャベツの思い出はその頃のこと。「いろいろな人にお世話になった」。盛岡では人に恵まれた。裂き織りは盛岡への恩返しでもある。

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株式会社幸呼来Japan:
2011年9月設立。盛岡市安倍館町。障がい者らが就労し、盛岡さんさ踊りの浴衣を材料にした「さんさ裂き織り工房」と「Panoreche(パノレーチェ)」の二つのブランドで裂き織り商品を製作販売している。取引先は岩手県産、平金商店、乃村工藝社、かわとく壱番館、北星館、ROOM DESIGN、金入、中川政七商店、エドウイン、アシックス。

石頭悦(いしがしら・えつ)氏プロフィール:
2009年、盛岡の支援学校で「裂き織」と出合う。古布などを細く裂いて織ったその美しさ、緻密さに感動。盛岡市の緊急雇用創出事業の補助金を得て、勤めていた会社で裂き織の生産・販売事業を立ち上げる。「盛岡さんさ踊り」の浴衣を材料に、ポーチやペンケースなどを作り販売。東日本大震災で会社の事業としての継続が困難となり、2011年9月に自ら「株式会社幸呼来Japan」を設立する。現在、2つの裂き織ブランドとプロジェクトを展開中。
株式会社幸呼来Japanホームページ http://saccora-japan.com/

\石頭さんの言葉を聞いた、参加者のコメント/

  • 「与えられた環境に、いかにして自分なりの意味を見つけるかが重要なのだと感じた」=求職中34歳男性
  • 「石頭さんは主婦をスタートにさまざまな仕事を経験されていました。人生どこで何が起こるか分からないし、今いる環境の中でいかに自分を活かすかということが大切だと思いました」=求職中30歳男性
  • 「裂き織りと障がいのある方々という今まで知らないつながりがあったことや石頭さんの考え方や経歴をお聞きしてとても勉強になりました」=大学4年生女性

「しごとトークカフェ」は2010(平成22)年度にスタート。石頭さんは95人目のゲストでした。
過去の様子はジョブカフェいわての施設内に常設のDVDで閲覧できます。